「天気が良いと、ここから四国が見えるんですよ」
そう言って、私の視線を遥か彼方へと誘ってくれたのは、自身も調査に関わったという総社市の文化財課、武田さんだった。私たちは立派に復元された鬼ノ城の西門前に立っていた。
この日は「晴れの国おかやま」らしからぬほど寒い日で、雪がちらつき、気がつくと鼻水が垂れているほど。こんな寒い日に誰か来るんかいなと思ったけれど、意外にも訪れる人はいて、すれ違いに挨拶を交わしながら鬼ノ城のメインどころ、西門に辿り着く。そして武田さんの前述のコメントである。
そもそも今回の旅の始まりは「鬼退治に行きませんか」の一言からだった。
「鬼退治って、桃太郎のことやろ?あれって、昔話の作り話なんじゃなかった?」と思ったけれど、資料を見ると「鬼ノ城」とある。
「ん?鬼が住んでた山が本当にあるの……?」
衝撃だった。
物語だと思っていた世界が、現存するという。
これは一種のミラクルなのではないか。
ということで、ほいほいと喜び勇んでやってきた鬼ノ城だったのである。
西門自体は復元されたものだが、大小様々に組み合わされた石の階段は、作られた当時のままだという。踏みしめるほどに、どうやってこの大きな石を山の上に持ち上げたのか、当時の人々の姿を想像せずにはいられなくなる。
伝説では、鬼ノ城は「温羅」と呼ばれる鬼が住んだ山だと言われているが、実際は古代の山城である。中世の人々が山の頂きに建つ立派な西門を見て「あんな所に立派なものが建っとるが、きっと鬼が作ったんじゃ」と思ったのだろうか、いつしか鬼の住処と言われるようになった。どうやら中世の人々は、人智が及ばぬものを理解しようとする時「鬼」を登場させたらしい。
そうして後の人々に鬼の住処と言われるようになった鬼ノ城であるが、瀬戸内を船でやってくる大陸からの使節団に「あんな立派な城があるんだからちゃんとした国に違いない」と思わせるためのものだったと前出の武田さんは教えてくれた。古代山城は7世紀後半、西日本各地に作られた防衛施設と言われ、鬼ノ城も作られた時期は不明だけれど、そのうちのひとつだと考えられている。
なんと!鬼が住む山の真の姿は、大陸向けの防衛城だったのだ。
西門に立ち、総社平野を見下ろす。その向うに見える海の上に、立派な船団でやってくる大陸の人々の姿が脳裏に浮かぶ。
戦わずして国を守る要所。
鬼ノ城はそうした場所だったのだ。
そういえば、取材中、気になることがあった。
「こんださん、宝がない所に桃太郎は来ませんよ」
武田さんが満面の笑みと共に謎の言葉を残して帰って行った。
ん?宝って一体なんだ?
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